山田五郎さん死去、67歳 原発不明がんで闘病 「タモリ倶楽部」「アド街」で愛された博識ぶりを振り返る

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美術評論家でタレントの山田五郎さんが、2026年7月14日に亡くなっていたことが明らかになった。

7月22日、公式YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」を通じて所属事務所のマネジャーが訃報を発表した。

67歳だった。

死因は原発不明がん(げんぱつふめいがん)で、ステージ4Bの状態での闘病だったという。

『タモリ倶楽部』や『出没!アド街ック天国』といった長寿番組で、博識なコメンテーターとして親しまれてきた山田さんの死は、多くのファンに衝撃を与えている。

この記事では、訃報が発表されるまでの経緯と、山田さんの功績、そして死因となった原発不明がんという病気について、わかりやすく整理していく。

訃報の経緯

山田五郎さんが息を引き取ったのは、2026年7月14日のことだったと報じられている。

しかし、この事実が公表されたのは死去から8日後の7月22日だった。

発表の場となったのは、テレビや雑誌といった従来のメディアではなく、山田さん自身が2021年1月に開設したYouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」だった。

動画では、20年以上にわたって山田さんを支えてきた男性マネジャーが心境を語った。

マネジャーは「がんと診断されたのが2024年7月。約2年間の闘病生活でした」と、闘病の始まりを明かした。

さらに「治療の順番を待つ間、桜の木が咲いておりました。『今年も桜が咲いたな、来年も一緒に桜を見ような』」というエピソードも紹介し、「本当に病気が憎いです」と悔しさをにじませたという。

特に注目を集めているのが、死去のわずか5日前にあたる7月9日ごろに収録されたとみられる動画の存在だ。

その中で山田さんは「もう死ぬよ。歩くこともできねぇ」と、自らの病状を率直に語っていたと伝えられている。

鼻に管を通した状態で撮影に臨み、視聴者に向けて自身の状況を包み隠さず伝えていたことになる。

最期まで自分の言葉で発信を続けようとした姿勢に、驚きと同時に深い敬意の声が広がっている。

経歴と功績を振り返る ― 講談社の編集者から「博識タレント」へ

山田五郎さんは1958年、東京都渋谷区の生まれ。

大阪府立北野高等学校を経て、上智大学文学部新聞学科に進学した。

大学在学中には、オーストリアのザルツブルク大学に1年間留学し、西洋美術史を学んだ経験を持つ。

この留学経験こそが、後年の美術評論家としてのキャリアの土台になったと言えるだろう。

大学卒業後の1982年、山田さんは講談社に入社する。

情報誌の編集部に配属され、若者向け情報誌『Hot-Dog PRESS』の編集長を務めた後、『ソフィア』『チェックメイト』といった雑誌の編纂にも携わったという。

2004年6月に講談社を退社し、フリーランスの評論家・編集者として独立した。

独立後の活躍ぶりは、単なる「美術評論家」という肩書きに収まらないものだった。

西洋絵画(『へんな西洋絵画』『闇の西洋絵画史』シリーズなど多数の著作)

機械式時計(『機械式時計大全』などの著作)

街歩き・グルメ(『出没!アド街ック天国』のコメンテーター)

お尻研究(『タモリ倶楽部』のミニコーナー出演)

こうした「なんでも知っている」という博識ぶりこそが、山田さんの最大の魅力だったのではないだろうか。

専門分野に閉じこもらず、興味の赴くままに知識を広げていくスタイルは、テレビの前の視聴者にとって「教養バラエティー」の先駆け的な存在だったように思う。

中でも『出没!アド街ック天国』への出演は1998年から始まり、実に28年間、通算1400回以上におよんだ。

番組の公式X・Instagramは山田さんの死去にあたり、「ご本人の都合でアド街を休まれることは、一度もありませんでした」と追悼のコメントを寄せた。

さらに「最期の収録は、亡くなる6日前。スタジオで最後に言った言葉を、私たちは忘れる事はないと思います」ともつづっており、体調が悪化してもなお現場に立ち続けた山田さんの姿勢が伝わってくる。

病気がわかった後も、体調がすぐれない日に「大丈夫だよ~」と気丈に振る舞っていたというエピソードからは、周囲に心配をかけまいとする人柄がにじみ出ている。

簡単な経歴年表

出来事
1958年 東京都渋谷区で誕生
上智大学在学中 ザルツブルク大学へ1年間留学、西洋美術史を学ぶ
1982年 講談社に入社
『Hot-Dog PRESS』編集長を歴任
2004年6月 講談社を退社しフリーランスに
1998年 『出没!アド街ック天国』出演開始
2021年1月 YouTube「山田五郎 オトナの教養講座」開設
2024年7月 原発不明がんと診断
2024年10月 病気を公表
2026年3月 一時昏睡状態に、以後車いす生活に
2026年7月14日 逝去(67歳)
2026年7月22日 YouTubeで訃報発表

闘病の経過 ― 「ぎっくり腰」から始まった約2年間

山田さんが自身の病気に気づいたきっかけは、腰の痛みだったと伝えられている。

以前から違和感のあった腰を診察してもらったところ、「ぎっくり腰じゃなくて、がんだった」という診断が下されたという。

この経緯は、がんという病気が思わぬ形で発見されることの多さを物語っているようにも感じられる。

診断は2024年7月で、その後の検査でがんはすでにリンパ節にまで転移していることが判明した。

骨への転移によって腰椎(ようつい)が圧迫骨折を起こしており、外科手術による摘出は難しい状態だったとされる。

そのため、治療の中心は抗がん剤による化学療法となった。

山田さんは同年10月に自らの病気を公表し、以後もテレビやYouTubeでの活動を続けながら治療に向き合ってきた。

しかし病状は徐々に進行し、報道によれば2026年3月には一時的に昏睡状態に陥ったという。

その後は車いすでの生活を余儀なくされ、固形物を口にすることも難しくなっていったと伝えられている。

腹水や胸水がたまることで酸素吸入が必要になるなど、身体的な負担は相当なものだったと推察される。

それでもなお、YouTubeの収録やテレビ出演を続けようとした姿勢には、仕事人としての強い矜持を感じずにはいられない。

好きなはずのタバコもやめざるを得なくなったことについて、「この俺がタバコ吸えなくなった」と冗談めかして語っていたという報道もあり、深刻な状況の中でもユーモアを失わない人柄がうかがえる。

原発不明がんとはどんな病気か

今回、山田さんの命を奪った原発不明がんとは、あまり聞き慣れない病名かもしれない。

これは特定の臓器名を指す病名ではなく、がんが見つかった時点で、すでに転移が進んでおり、最初にがんが発生した臓器(原発巣)を特定できない状態のがんの総称を指す。

通常、がんはまず特定の臓器(肺・胃・大腸など)にできた腫瘍が最初に発見され、その後の検査で転移の有無が調べられる。

ところが原発不明がんの場合は、リンパ節や骨、肝臓といった転移先で先にがんが発見され、詳しい検査を行っても、どこから広がったのかがわからないまま診断が確定する。

国立がん研究センターなどの情報によれば、原発不明がんは全がんの3~5%程度を占めるとされ、日本国内では年間約1万人が診断されていると報告されている。

決して患者数の多い病気ではないが、それだけに情報が少なく、治療方針を立てにくいという難しさがある。

症状は転移した部位によって大きく異なるため、全員に共通する初期症状というものは存在しない。

比較的よく見られる症状としては、原因不明の体重減少、倦怠感、微熱、食欲不振、体の痛みなどが挙げられる。

首やわきの下、太もものつけ根といった体の表面に近いリンパ節に転移した場合は、皮膚の上から触れてしこりに気づくこともあるという。

また、がんが胸膜に転移すると胸水がたまり、息苦しさを感じるケースもあるとされる。

山田さんのケースのように、腰椎の痛みをきっかけに骨転移が見つかるパターンも、この病気ではしばしば見られるようだ。

治療法についても、原発巣がわからない以上、標準的な抗がん剤治療の組み合わせで対応することが多く、外科的な切除が難しい例も少なくない。

予後については、残念ながら全体としては厳しいことが多いとされ、生存期間の中央値は約11ヵ月という報告もある。

ただし、原発不明がんの中にも比較的治療反応が良く、予後が相対的に良好なタイプが存在することもわかっている。

山田さんは診断から死去まで約2年間にわたって病気と向き合ってきたことになり、決して平均的な経過ではなく、それだけ懸命に治療と向き合い続けた結果だったのではないかと思われる。

世間の反応 ― 惜しまれる「知の案内人」

訃報が伝えられた7月22日以降、SNSやニュースサイトには山田さんを悼む声が相次いで投稿されている。

出身企業である講談社も公式Xを通じて「山田五郎さんのご冥福をお祈りいたします」とコメントし、かつて自社で編集者・編集長として活躍した経歴に触れつつ追悼の意を示した。

長年共演してきた『出没!アド街ック天国』のスタッフからも、先述の通り「最後の収録」に関する具体的なエピソードが公開されており、番組を通じて築かれた信頼関係の深さがうかがえる。

視聴者からは「あの博識な解説がもう聞けないなんて信じられない」「病気を抱えながらずっと仕事を続けていたことに頭が下がる」といった反応が多く見られる。

個人的にも、専門分野の垣根を越えて何でも面白く解説してくれる山田さんのような存在は、テレビというメディアにとって非常に貴重だったと感じる。

単に知識が豊富というだけでなく、それをわかりやすく、しかもユーモアを交えて伝える技術に長けていたからこそ、幅広い世代に支持されてきたのだろう。

また、闘病生活をYouTubeという形で発信し続けたことも、大きな意味を持っていたのではないかと考える。

深刻な病状であっても包み隠さず語る姿勢は、同じように病気と向き合う視聴者にとって、勇気づけられるものだったのかもしれない。

最後まで「伝えること」をやめなかったその生き方こそ、山田五郎という人物の本質を表していたように思える。

補足情報 ― 原発不明がんをめぐる豆知識

原発不明がんは英語で「Cancer of Unknown Primary(CUP)」と呼ばれ、国際的にも研究が進められている分野だ。

近年は遺伝子検査の技術が進歩したことで、がん細胞の特徴から原発巣をある程度推定できるケースも増えてきているという。

それでも診断がつかないまま治療を始めざるを得ない患者は一定数存在し、専門的に扱う「希少がんセンター」のような機関も設けられている。

著名人では、これまでにも原発不明がんと診断されたことを公表した例が複数報じられており、決して他人事とは言えない病気であることがうかがえる。

なお、この記事は訃報発表から間もない時点でまとめたものであり、詳しい病状の経過や葬儀に関する情報など、今後さらに詳細が明らかになる可能性がある。

続報が入り次第、改めて内容を確認していきたい。

まとめ

山田五郎さんは、美術・時計・街歩きといった幅広い分野で知識を惜しみなく披露し、多くの人に「知る楽しさ」を伝え続けた人物だった。

2024年の病気公表後も、約2年間にわたり治療を続けながら現場に立ち続けた姿勢には、深い敬意を抱かずにはいられない。

『タモリ倶楽部』や『出没!アド街ック天国』で見せてくれた、あの飾らない博識ぶりを懐かしむ声は今後も絶えないだろう。

心からご冥福をお祈りしたい。

Wooder

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